WSとかDMとか。

WS10周年ですって(2012~2014年まで振り返る)

無許可で人の名前を勝手に出したりするクソ長自分語り(パクリスペクト)

 

 

 とのことなので(?)、長々と語っていきます

 

  • 2012年

この年の4月に和歌山の方に引っ越してきました。そして8月だか9月でしたかね、自分が入ったサークルで同期や先輩があるカードゲームをやっているのを見つけます。この時に初めてWSっていうカードゲームがあるのを知りました(それまでは存在すら知りませんでした)。カードゲームとして当時はデュエマをやってました。とは言っても環境を追いかけて、とかはしてなくてブックオフとかで拾ったような安くてちょっと使えそうなカード達を束にして遊んでた程度です。(後々勝利シリーズその他汎用的な超次元カードとかも集めるようになるわけですが)

そんな当時からするとWSはみんな楽しそうにやってるし俺もやりたいなーと思いつつも話を聞くにデッキ単価が結構高そうな印象があったのと、何よりピンとくるタイトルが無かったのでなかなか始める機会がありませんでした。アイマスは当時の参戦作品の中でもかなり好きな部類だったので始めるならここかなーとも思いましたが、身内のほぼ全員が組んでるような印象があったのでなんか抵抗がありましたね。無意識に流行を避けたがる悪い癖はこの時も健在でした。

  • 2013年

 この年の1月から放送していたビビッドレッド・オペレーションというアニメがWSに参戦するらしい。アニメも好きで、新規タイトルだから過去のカードとかも集めなくていいということだったので、ブースターパック ビビッドレッド・オペレーションが発売された6月29日にWSデビューしました。カードショップNOAHってショップでボックスを何箱か開けて、どんなデッキにしたらいいとか足りないパーツはどれでどれをシングル買いすればいいか等色んなことをプレイヤーとしての先輩たちにたくさん相談したような記憶があります。結局初めに組んだのはビビッドイエロードッキング軸でしたか。ビビッドブルーにしときゃよかったものを。

こうして組んだデッキのスリーブとして、その日にNOAHで買ったビビオペのあかねちゃんのスリーブを使いました。そのスリーブは当時から今までずっと使い続けているぐらいのお気に入りです。(流石にそろそろボロくなってきた)

この時はデッキが最低限一つあれば同期や先輩たちと遊べるツールがあるってことで満足しており、二つ目のデッキを作るといったことはあまり考えてませんでした。(当時は何故かデュエマだけじゃなくてヴァンガードも触ってたのもある)

そんなこんなでデッキを回したり色んなカード試したりってのをしてたような気もするし、そうでなかったような気もしますが、いつごろか忘れましたがショップ大会に出るようになりました。(というよりはショップ大会の後に先輩の家でヴァイスすることの方がメイン感はありましたかね)

そしてある日、どうやらこのゲームにはショップ大会よりも大きな地区大会というものがあることを知ります。しかし流石に今の知識量と経験量で挑むのは不安だったのか、まずはビビオペのタイトルカップに出ようと決心します。基本的に自分が知ってるカードしか出てこない訳ですから。

そんな訳で調整、って程のことはしてませんでした。相手がこういうデッキで来るだろうから自分はこうやって迎え撃つみたいな、いわゆるメタっていう考え方をするに至ってなかったですから。そんなことよりも自分はどんな型を使えば一番強いのか、それよりも低次元な話、このデッキはどう使えばいいのかってとこから躓きまくってた気がします。結果、ドッキングなりアローンなりで出てくるファッティどもを全部対処できる(?)風を採用した赤黄型、ドッキング無しでL2から四宮ひまわりのチェンジギミックを使った型で挑んだような気がします。結果は4戦目だか3戦目だかで没したような記憶があります。

  • 2014年

WSをやるにつれDMやVGはやる時間が少なくなりフェードアウトし、気付いたらWSがメインになってたような気がします。急にアイマス(春香単)組み始めたのもこの年の1月あたりだったか。

ショップ大会も時間があれば出ていましたが、そろそろボコボコにされ続けて腹が立ってきたので本気で勝ちたいなーって思い始めたのもこれぐらいだったと思います。とりあえずのプレイングが多すぎて惰性でやってる感があったので、アドって何やとかどうするのが最適なのか等を改めて考え直すのは結構大変でした。周りにも山ほど相談したような、そうでもないような気もします。悔しさってのはモチベを得るためのバネとしてはこれ以上ないくらいデカいですね。

あとは生活環境が若干変化したせいで夜に外に出歩いて先輩の家までWSやりに行くってのが少し難しくなったのでスカイプの対戦環境も整えましたね。

この年の3月末に発売した艦これがやたらと強すぎたのは有名な話。自分も当時から苦手意識がすごかったです。ただ個人的には艦これ以上に、急に出てきた謎タイトルのクレヨンしんちゃんの方が苦手でした。相手がL3に先に上がりしんのすけでバーン飛ばしまくってから扉対応まで決めてくるとこっちが2-5からでも軽くゲームエンドするので(俺は一体何のためにこのL3のカード達をデッキに入れたんだ)って気分を良く味わいましたね。

そんなこんなで不安も抱えながら5月にBCF名古屋に遠征で行く(人たちについて行く)ことになりました。レギュレーションはネオスタンダード、当然ながら自分程度の実力でトリオを誘う勇気もありませんでしたのでぼっちです。デッキは不安しかありませんが他に握れるデッキもなかったので相変わらずビビオペ。この時はTDに入ってたL3ビビッドブルーを入れた型でした。

結果は0-2。前述のクレしんフェアリーテイルに勝てませんでした。苦労して夜行バスでわざわざ名古屋まで来て全敗で帰るのは腹立たしかったので一緒に来ていたキョンラブライブのデッキを借りてタイカプに行くことに。結果3回勝って、4戦目にマメフェス(+2)入りのデッキに轢かれましたような記憶があります。それからフリーファイトで何回か遊んでたらなんと、しおぴぃさん、メルマモさん、キョンのチームがなんと決勝卓にいてるらしいじゃないですか。

こういった大会の決勝卓なんて雲の上の存在だと思っていたので、そこによく知る人たちがいるということにすごい興奮した記憶があります。そして決勝2回戦だったか、しおぴぃさん(ビビオペ)、対面(SAO)の試合。ビビオペ側が3-3(3-4だったかな?)で凛とした強さ アスナのアタックをキャッチしたら負けるという局面で撃たれた意外と力もち。ソウルは4から9に跳ね上がり、5点目でキャンセル。撃ってなかったら終わってました。一連の動きが神がかりすぎて柵の外から見てた浅葱さんも自分もめちゃくちゃ驚いたのは今でも覚えてますね。

その試合は勝ちましたが最後の決勝戦では惜しくも負けてしまい、結果彼らは準優勝。自分はビビオペを使い0-2してしまいデッキが悪かったのかなあと負けた直後には思いましたが、しおぴぃさんが個人8-0を達成していたのを見て自分の未熟さと、このデッキの可能性を確信しました。個人成績はボロ雑巾でしたが、得られたものは非常に多かったです。

次の地区大会は大阪、今回は身内の同期と初トリオでした。自分が使うデッキは名古屋の時とさして変わらないですが、名古屋で得た刺激をしっかり自分なりに吸収してきたつもりなので自信はありました。そして1回戦、対面の大将席によく見た人が。しおぴぃさん、何にしてはるんですか?まさかあれだけの人数がエントリーしてる中で数少ない知人を見ることになるとは。そのときにボナーラさん(旧名)とイチさんと知り合いました。結局その日は3戦目でドロップするぐらいぼっこぼこにされて左近ってとこで焼き肉を食ってました。これ以降インテックス大阪で予選落ちした時は毎度左近で焼き肉食ってますね。

それ以降はアニ沢さん辺り(当時のぴぽ勢)をはじめとして色んなとこに知り合いを作ってた気がします。ニコ生のWS凸待ちも積極的に凸してた時期だった。今思うと結構前向きだったなーと。

そして8月中旬、(個人的にですが)WS最大の暗黒時代がやってきます。ニセコイのブースターが発売します。実際に対戦してみると乙女心 万里花のカードパワーが圧倒的でした。クレしんにも劣らないキル性能で、CX連動なしでL2からのゲームエンドをしっかり狙えるぐらい強烈だったように思います。そのために相手をL3に上げずに止める的な戦術もあったそうですが、自分も相手のL3をスキップできるだけのキル能力がないと戦術として成立というのはVGのLB止めから学んでます。

周囲がやる気をなくしていく中、WGPの時期が近づいてきます。結局ビビオペ以外のデッキを作る気もなかったので今度はすっかり元気 あおいを入れたビビオペで挑むことに。いい加減新しいデッキ作れって今になって思う。しかし調整の段階でかなりボコボコにされていたので自信は全くありませんでした。

そしてWGP大阪、CYANさん、がるばとトリオに挑むことに。ニセコイと艦これはほぼチームにいるだろう、ニセコイが最強だから勝つのは当然として、どうやってもう1勝取ろう、という認識だったような気がします。今思えばなんと無責任・・・

この日はすごく運が向いており予選全勝で決勝卓へ(個人は3-2ぐらいだったかな)、時間経過によりすり減る集中力により決勝卓の2戦目の艦これに苦戦。負けたかなーってとこでトリガーで超過した打点、山越しのご都合キャンセル。そのまま押し通して勝ち。先鋒のがるばが勝っていたのでレシピが確定、大将がまだ試合してるのに大声で喜んでました。(マナー違反ですね、反省。ジャッジに少し怒られました。)

レシピは確定してもう満足してましたが、次は決勝戦。気持ちはエキシビションマッチで楽しくプレイしてた記憶があります。相手はニセコイ、怒涛の乙女心 万里花連パンを受け自分も終わったかなーと思いましたが、何故か圧縮率に見合わない超絶キャンセルを見せて返しのターン獲得。こちらも5点バーンで詰めに行くが相手もキャンセルが強くて倒しきれず。結果負けてしまいチームも敗北。今思えばプレイングも拙い部分もありましたが当時持てた全てを出せた気がします。

この時期の地区は大阪しか行かなかったのですが、次いで岡山地区でもキョン、おきせさん、CYANさんのチームがなんと優勝。CYANさん強すぎですね。これ以降は地区は行っていないのですが、相も変わらずニセコイと艦これが強かった中で追加を得たアイマスで入賞したレシピがあったのが印象的でした(確かぽてちさんだったかな)。これを機にちゃんとしたアイマスを組むことを決意しました。

そのあとは年末にただでさえ強かった艦これが更に追加で強化されて、最強格が超最強になりましたね、だいたい暁のせい。その後緊急規制がかかったりとか、アイマスを使い始めてそろそろビビオペの性能に限界を覚えたりしますが、長くなるのでいったん区切ります。